こんなにつらい症状があるのに何も検査に出てこない!そんな時はどう考えればいいのか・・・・

皆様。こんにちは。

さて日本内科学会雑誌の2023年 10月号は
【内科医が支えるメンタルヘルス】
特集されていました。

ザ!内科の王道の雑誌でも
メンタルヘルスの大切さが取り上げられていること
それだけニーズも高まってきているのだと思います。

日本内科学会雑誌

内科の医師をしていると
身体的な症状を訴えの患者さんがほとんどです。

身体的な症状・・・・
どこかの痛み、倦怠感、めまいなど。。。。
様々な訴えがありますが

検査で何もでないということも良くあります。

「〇〇という病気ですね!」と医学的に説明がつかない
ことも残念ながら割と多くあります。

医学的に説明がつかない時
その症状、病態は
不定愁訴、MUS、PPS・・・・などと呼ばれる。
その中にはいろいろな病態が含まれている。

1960年代に用いられる様になった「不定愁訴」という用語があります。

全身倦怠感、頭重、食欲不振などの漠然とした身体的愁訴で
しかもそれに見合うだけの器質的疾患の裏付けができない場合
その症状や愁訴は
よくわからないものというニュアンスも込めて
不定愁訴という言葉で呼ばれていました。

また、辛い症状があるのに診断基準を満たさない場合には
従来はMUS(Medically Unexpected Symputoms)
つまり「医学的には説明ができない病態」と
まとめて表現しておりました。

最近は、このネーミングから
もう少し患者さん側の苦悩に配慮したネーミングのほうがいいのでは?と
PPS(Persistent Physical Symptpms)
「持続する身体症状」
と呼ばれるようになってきました。

でも呼ばれ方が変わったとしても
結局いろいろな疾患を含んだ名前であることはかわりありません。
含んでいるというよりは被っているイメージでしょうか?

例えば、このような呼ばれ方をしているものの中に
どのようなものが含まれているかというと

・機能的身体症候群 (Functional Somataic Syndrome:FSS)
訴えや生活への影響の程度が、確認できる組織の障害の程度に比べると大きいものという特徴がある。

・身体症症状(Somatic Symptom Dosorder:SSD @ DSM−Ⅴ)
=身体表現性障害(somatoform disorders @ DSM−Ⅳ)
身体症状に対する過度な考え、感情、行動をもっているもの

・医学的に未知の病態

・その他

などなどたくさんのものが雑多に入り込んでいます。

そして、ここに
診断ができてないだけの体の疾患(未診断の器質的疾患)
が含まれていることが

患者さん、そして医師にとっても
やはり大きな心配事だと思います。

 

患者さんからしたら・・・・

その場合は
患者さんからしたら
もちろん
「検査してなにもないなら安心!よかったあ〜」
となられる方もおられますが

中には
「こんなに辛いのは、じゃあ何なのよ!」
「この医師だから診断がつかないのでは?別のちゃんと診断してくれる医師に診てほしい!」
「もっとちゃんと検査をしっかりしてくれればちゃんと分かるはず!」
「検査に異常がないと、自分の症状は医師に信じられていないのでは?」
と思う方もおられるのではないでしょうか?
(もしかしたら多くの方がそう感じるかもしれません。)

辛い

 

正直、医師の方も・・・・

医師の方も
〇〇という病気で〇〇という病態でこの症状が起きている!
と説明がついた方が
スッキリするに決まっております。

今までは医師は
「患者さんには疾患があり、それを診断し治療を行うことが医師の役割」
と習ってきました。

検査で異常が出ず
なんでこの症状がでているのか説明がつかないような時
患者さんから
「じゃあ先生、この症状はなんで起きているんですか?説明してください!!」
と言われた時に辛いのは医師も同じです。

悩む医師

もちろんこの一見、MUSに見える病態から
真の器質的疾患を探し出すトレーニングを医師は一所懸命行っております。
たくさんの書籍もでております。
たとえば私の定期購読している医学書院から出ている「総合診療」の雑誌の
2022年11月号はまるままこの特集でした。→こちら

でも、医師は常に
・自分の能力不足で身体的な疾患を見つけられないのでは?
という葛藤との戦いです。

そのため
患者さんの症状が強く、経過が長く
病態が分からない時に時に
簡単な検査で何もでない時は
もっと高度な検査を検討しがちですし
自施設でそれが叶わないなら
検査ができる他病院に紹介することもあります。
別の医師に診断を仰ぐために紹介することもあります。

それはそれで
患者さんも望んでおられるのなら
もちろん正しいのですが

問題は、紹介した先で行った精密検査でも
何一つ何もでなかった時です。
紹介して診てもらった後方病院の医師でも診断がつかなかった場合です。

その時は
「検査結果の異常がが出るまで検査をし続ける」
「診断をつけてくれる医師に出会うまで紹介し続ける、転院しつづける」
しか方法はないのでしょうか?

もちろん体に問題がないから
では、心に問題があるというような単純な問題でもない。

ここで、とても重要なことは、

苦し紛れに
「検査に何もでないのだから、精神的なものでしょう!」
は非常に危険ということです。

・精神疾患の診断は、器質疾患(身体疾患)の除外ではないですし
・器質疾患で精神症状を伴うものだってあります。

強調したいのは
「体の問題がないから」=「精神的な問題」ではない
ということです。

それだけの2択でパキッと分けられるものではないということ。

そこにはもしかしたら
患者さんの個人の「感受性」とか「脆弱性」が関係していたり
検査にはでないある病態が起きているが、違う形で起こってて見えにくいのかもしれないし
身体疾患と精神疾患が共存することもありますし
「今は検査に出ない」けど後から出ることもありますし・・・・・
何か、その人が「真に心配していることが解決しないと解決しない」のかもしれませんし。。

検査に異常がないから
身体的な問題がない!とも
だから、精神疾患があるということでもありません。

そして
この事実は
患者さん側も知っておいたほうがいいと思います。

ただ、もちろん本当に精神疾患が原因のこともあるし
二次的に、うつ病などの精神疾患を併発していることもありますので

その場合は精神科の先生にご紹介し
専門医の診断や治療を受けた方が良いこともあります。

みだりな検査や紹介は
心身に負担がかかってしまいます。

症状を説明しうる
検査結果に異常ることを期待して
繰り返し
いろいろな検査を
いろいろな病院や
いろいろな医師を
求めて探し回ることは非常に心身に負担がかかることです。

 

もちろん治る病気があるのに
それを探さずにいましょう!ということではありません。
名医にあえて本当に良かった!ということも実際あるのだと思います。

でもある程度
納得行くところまで検査をしても
あまり症状に直結する結果が出ない時は
少し目線を変える必要があるのかもしれません。
医療のゴールを変える必要があるのかもしれません。

「症状の程度」「辛さの程度」を測るには
必ずしも
「検査結果の悪さ」という「証拠」を必ずしも探し出さなくてもよい!

ということを
医師だけでなく患者さんも知っておけば

こんなにつらいのに検査に何もでない事で
だれも分かってくれないのでは?と不安だったり
診断をつけることや検査に疲れてしまった
という時に

「症状を軽くする」「生活を少しでも楽にする」という
「治す」という選択肢から「付き合っていく」という選択肢も生まれます。
一旦、診断の追求を先延ばしにする
というこころ構えが必要なのかもしれません。

 

 

医療のゴールはどこにあるのでしょうか?
一つではないのかもしれません。

上述のように
従来医師は、医学部時代、そして研修医時代、そして医師になってからも
「患者さんには疾患があり、それを診断し治療を行うことが医師の役割」と習ってきました。
基本的には「疾患」diseaseの勉強に特化してきました。

だから「診断」にこだわってきたし、患者さんもそれを求めているのだと思います。
勘違いしていただきたくないのは、
基本的に診断が付く部分に関してはそれでいいのだと思っております。

でもどうしても診断がつかない時、やることはないのでしょうか?
そんなことないと思います。

以前のブログで「疾患」disease と 「病」illnessの話をしました。
【過去ブログ】
疾患と病 かきかえ? なんで先生は、そんなことまでいろいろ聴くの???→こちら

疾患と病 かきかえ? なんで先生は、そんなことまでいろいろ聴くの???

医師の癒やし人(Healer)としての能力について研究している
Cassell先生は、
「The Nature of Suffering and the Goals of Medicine」という著書の中で

医療のゴール
それは、患者のwellbeigであり
それは「患者がよく過ごせている」と感じる状態のこと

と書いておられます。

医療スマイル

診断をつけることが難しく
もう十分にいろいろな検査などを行っても
何も結果は異常所見はでない
けどつらい症状で悩んでいるなら
患者さん自身もその追求を
必ずしも望んでいないなら
大切な人生の時間の大半を費やしてしまうことがないように
医療者も
そして患者さん自身も
考え方を変えていく必要があるのかもしれません。

大切なのは・・・

自分の病態の答えを探してくれる名医を見つけることも一つだと思いますが

結局大切なのは
たとえ診断がつかなかったとしても
つらい症状、不確実な病態を
かかりつけ医と患者さんが
共に飲み込んで
「うまくつきあっていく」
ための方法を一緒に信頼し合って考えていけるか
だと思います。

家庭医のACCCAの話を以前ブログに書きました。→こちら

プライマリ・ケアのACCCAという考え方① 今日は一つ目のAを少しだけ。

かかりつけ医には、物理的距離もかなり必要な要素です。

名医を求めて、日本全国、もしくは海外も含めあちこちに受診することに疲れてしまった場合には

是非、ご自身の自宅の近くで
ご自身に合う
自分のことをよく知る
「この先生なら信頼できる」と思う
かかりつけの医師がみつかるといいなと思います。

もちろん
医師は医師の責任性において
少しでも自分の診断能力を深めたり
知識を増やしていく努力しつづけるのが本分ですので
可給的に病態に迫る努力はしてまいりたいと思っております。

あん奈

 

参考過去ブログ一覧

・疾患と病 かきかえ? なんで先生は、そんなことまでいろいろ聴くの???→こちら

疾患と病 かきかえ? なんで先生は、そんなことまでいろいろ聴くの???

・プライマリ・ケアのACCCAという考え方①→こちら

プライマリ・ケアのACCCAという考え方① 今日は一つ目のAを少しだけ。