人生の最期を迎えるときの医療(ターミナルケア)についてお話します。⑨時期別の状態とケア(亡くなる数週間前)

ターミナルケアのシリーズを続けております。
是非、シリーズ通してお読みください。

 

① 導入編→こちら

人生の最期を迎えるときの医療(ターミナルケア)についてお話します。① 導入編

②   最期のときの3つのパターン→こちら

人生の最期を迎えるときの医療(ターミナルケア)についてお話します。②最期のときの3つのパターン

③ 全人的苦痛という考え方とは→こちら

人生の最期を迎えるときの医療(ターミナルケア)についてお話します。③全人的苦痛という考え方とは

④ そもそも緩和医療とは?→こちら

人生の最期を迎えるときの医療(ターミナルケア)についてお話します。④そもそも緩和医療とは?

⑤ 死を受け入れるということ→こちら

人生の最期を迎えるときの医療(ターミナルケア)についてお話します。⑤死を受け入れるということ

 

⑥ スピリチュアルな苦痛?→こちら

人生の最期を迎えるときの医療(ターミナルケア)についてお話します。⑥スピリチュアルな苦痛?

 

⑦ 予後予測について→こちら

人生の最期を迎えるときの医療(ターミナルケア)についてお話します。⑦予後予測について

 

⑧時期別の状態とケア(亡くなる数ヶ月前)→こちら

 

人生の最期を迎えるときの医療(ターミナルケア)についてお話します。⑧時期別の状態とケア(亡くなる数ヶ月前)

 

今日は、残された時間が数週間の段階の話をします。

繰り返しになりますが、これから綴るお話は
私が今まで経験した中の個人的な主観も含まれていると思います。
後、私は在宅でのお看取りの経験の方が多いので、在宅を念頭において話している事が多いと気が付きました。
ご自分の主治医の先生と少し考え方が違っても
今の主治医の先生が間違っているとか、こうしないといけないというものではありません。
私は、ターミナルケアは、『お産』と似ていると感じます。
どの『お産』も全く同じ経過ではいきません。
毎回ドラマがあります。
同じように『死にゆく時』にも全く同じ経過はないと感じています。
医療者は、患者さんやご家族が、なるべく本人の望む形で
『お看取り』に持っていけるように、サポートしたいと思っております。
それぞれのやり方や正しいと信じていることが違うので
ご自分に合う先生であればそれで良いと考えてくださいね。

●この時期のお体の様子は

皆さんが絶対にそうではありませんが体がすこしづつ動かしにくくなっている可能性があります。
病院への通院など外出が大変になってくるかもしれません。

本来はもっと前の段階で、緩和医療、在宅医療を視野に入れても良いと思われますが
実際はこの時期に、緩和医療や、在宅医療が始まることも多いです。
「抗癌剤治療などの積極的な加療から、症状をとる緩和医療をメインにしましょう」と
説明を受けて、『落胆した気持ちで』在宅医療の申込みに来られる方も非常に多いです。
中には、病院などの医療機関から『見捨てられた』感を味わいつつ退院されてくる方も多いです。
全人的な苦痛の中で、『生きている意味が感じられない』とスピリチュアルペインに悩まれる方が多いような印象です。

本当は在宅医療は、そういうための最期の行き着く場所ではありません。
死を覚悟して、その上で最期まで自分らしく生きる場所だと思っております。

 

★ そもそも緩和医療とは?→こちら

★ 全人的苦痛という考え方とは→こちら

 

●この段階で医療者が気にしておくこと、患者さんがクリアしておくべきこと
(理想的にはもっと前の段階ならなお良い)

①可能なかぎり、本人やご家族が現状を理解して受け入れる準備をしておく。(告知)

上記のような、『見捨てられ感』を感じないためにも
私は遅くとも、この時期までに患者さんが自分の状況をしっかり把握しておく事が必要と感じます。
今まで、この状態で退院され在宅に来られる患者さんを何人も診てきました。
この段階から、信頼を築き、全人的な苦痛を取り除き、栄養について相談して。。。。
というのは実はとてもスピード感を要します。

★ そもそも緩和医療とは?→こちら

緩和医療とは、最後の手段ではなく、治らない疾患がわかった時、あるいはある程度の年齢になったら
並行して進めていくのが一番自然な形になると考えております。

②ひきつづきあらゆる症状をおさえておく(必要なら医療麻薬の使用も)

★医療用麻薬については→こちら

③輸液をしているなら適切な量にしておくこと

④本人はもちろん、家族、そして在宅なら介護に加わるヘルパーさんなどが、これからの経過を理解し不安がなく心の準備ができていること

⑤在宅で過ごしているなら、介護や福祉、金銭的な不安がないこと

⑥お看取りの経過について知っており、その時がきても慌てずどう動くか、家族が把握しておくこと

⑦本人がやり残していることがあるならば可能な限り叶える方向で検討する

 

今私が、ぼんやりと考える『亡くなる』ということ

私は、今までの医師人生の中では在宅でのお看取りに多く携わらせていただきました。
福井県のオレンジホームケアクリニックさんという、訪問診療専門クリニックでは本当に多くの経験をさせていただき今の私の「核」になっていると感じています。
その経験の前後で、『亡くなる』ということに対する見方がかなり変わりました。

 

研修医になりたてのころは
『亡くなる』というのは、医療者にとってある意味
表現はムズカシイですが『負け』だと思ってました。
タブー視していたというか。

『最期まで諦めずに頑張りましょう!』というような言葉を
あまり疑わずに、ただ単なる『良いこと』として口にしていたかもしれません。
また、一方で担当していた患者さんが亡くなるときに立ち会えないことは
『悪い事』『申し訳ないこと』と思ってもおりました。

そんな中、若かりし研修医の頃、訪問診療クリニックで
担当していた100歳を超える患者様が、いわゆる『老衰』の経過で亡くなりました。(老衰についてはまたどこかで)
結構お元気にされており、寝ている時間も多かったけど、起きたら好きなものをたべておられました。
夜に寝ている間に、ご家族がふとみたら呼吸をしていなかったということで
私は、当直ではなくその場には立ち会えませんでした。
翌日出勤して亡くなったことを知ったときに
『そんな大変な節目に担当医が立ち会えてない!』ということは『悪いこと』に思えて
お看取りを担当してくださった先生や、ケアマネさんや訪問看護師さんたちの前で
『申し訳なかったです。亡くなるなんて大きな出来事の前に主治医が立ち会えなくて』
というニュアンスのことを言おうとした瞬間

『いやあー大往生でしたね!まったく苦しみもなく。いやーー良かったです。』とその場の雰囲気がなり目が点になったのを覚えています。
その後ご家族にお会いしたときも
『いやーー先生ありがとうございました。介護休暇がもうすぐきれるのでどうしようかと思ったのですがおばあちゃんも空気よんだのかしら(笑)本当に最後まで、すきなだけ眠って、好きなもの食べて、飲んで歌って、苦しみもせんと。私もああなりたい』とご家族さんがおっしゃっておりました。

亡くなって尚、感謝されたことに驚いたのと
こんなに明るいお看取りがあったことに驚いたのと
おだやかな『死』を前に、医師がやらないといけない医療行為はほぼ必要ないかも
とかなり驚いて気がついた瞬間でした。
この方は、振り返ると上に書いているような死のプロセスにおいてクリアして置かなくては行けないものを
自然な流れですべてクリアしいた!ということに気が付きました。

100歳を超えいよいよ
食べなくなっており、いつ亡くなってもおかしくないと
みんなが知っており
そのために介護休暇をとって最期の時を
なるべく悔いなく過ごすように交代で泊まり込んだりしていたこと
特別苦痛なく、だいたいが寝ながら過ごせていたこと
点滴は希望なかったこともあり、してなかったこと
訪問看護師さん、介護、福祉サービスも充実していたこと

私は主治医として訪問しながら
この方には『人が自然に亡くなるとはこういうことだ』と教えていただくことばかりでした。
本当にありがとうございました。

その後も多くの高齢の方が
この方と同じように『医療行為を特別必要としない自然な亡くなり方』を見せてくださいました。
どの方も、ご本人もご家族も穏やかな経過で亡くなられました。

この穏やかな経過が
私の中で『基本の』というか一つの素敵なお看取りの核になっております。

ある意味、『もう亡くなるのだ』という覚悟があれば

もちろん、ご高齢、老衰で穏やかに逝かれる方ばかりではありません。

がん、神経難病、事故・・・・
望んでいない死、早すぎる死、家族の境遇を考えると胸が痛むことたくさんありました。

それでもどうしても『死が避けられないときは』
医師は万能ではありません。
医師としてできることは
なるべく、穏やかなお看取りになるように
その時々に越えておくべきことをクリアしているか確認しつつ
なるべくそれに沿うような形にサポートするに過ぎないと。

今はぼんやりそう思っております。

もちろん何もしないことが一番良い!と言っているわけではありません。
医学的な説明をしっかり受けて
納得した上で積極的な医療を頑張ってみたいというのは当然のことですし
そのためにいろいろな医師が研鑽を積み
患者さんと一心同体で頑張るというのももちろん素晴らしいと思います。(患者さんが望むならですが)

ただ現代の医学ではどうしようも治療方針がない時
もしくは患者さんが、これ以上の積極的に加療したくないという時
可能な限り本人の希望に沿ったお看取りに近づけるというのは
医師として大事なことだと思います。

私の中で印象深かった患者様が何人もおられますが
死期を覚悟され
『先生、最期まで私が私らしく好きなことをするサポートをしてよね!』とおっしゃられていた方々は
皆様本当にとても素敵でした。

・亡くなる前日に念願のコストコに、娘さんたちと車で3時間かけて行かれた50代女性
・亡くなる前に奥様にラブレターを書いて、渡された70代男性
・自分が亡き後の妻の生活が一番心配だから、俺の闘病中に妻の生活が充実するように組み立ててくれよ!と奥様の生
 活が安定することを見届けて逝かれた70代の神経難病の男性。
・訪問診療は嫌だ。外来で通えるまで粘る。タバコと酒は最期の日まで続ける、動けなくなったらホスピス入れてね。
と言葉通りに外来に通われ、亡くなる2日ほど前にホスピスに入院した80代女性。

 

多くの方が、自分らしく亡くなるということは
こういうことだ!というのを見せてくださいました。

私は、、、私の場合はどうやって生き抜こう。
そんなことをおかげさまで考える機会には恵まれているのですが、、、あまり具体的には、、固まっておりません。

またもしバナゲームとかで自分のことをしっかり考えたいと思います。

★もしバナゲームとは?→こちら

 

 

おわりに

さて、ターミナルケアの中でも、今日は『亡くなる数週間前』にスポットをあててお話しました。

何度も言いますが
すこし刺激の強い話が続いています。
無理に読まれる必要はありません。
体と心のお元気な時に
そして誰かのことを思って、情報を欲している時に
お読みいただけたらと思っております。

次は、『残された時間が数日の段階』の話に進んでいきます。

 

あん奈